「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざがあります。イギリスの思想家・歴史家のトーマス・カーライルのことばで、「Speech is silver, silence is golden.」がその始まりのようですね。
「沈黙」を、銀よりも高価な金にたとえていったもので、饒舌に話せることも大事だが、黙っていることも大事だということでしょうか。
相手に責任を追及された時の反応には様々なものがありますね。たとえば、知らないよとうそぶかれたり、素直に見てもらえたり、逆ギレされたり・・・・。このような態度を民訴訟の世界では大きく4つに分けています。それは、相手の主張を「認める」「否認する」「知らない(不知)」「黙 る」の4つです。そして、さらにそれを2つにまとめて考えています。すなわち、「知らない」は「否認する」の一形態となり、「黙る」というのは 「認める」と同じとまとめられているのです。
相手の主張に対して、何も答えないとそれは「認めた」と同じことになります。また、裁判所から正式な呼び出しを受けて出頭しないことも、相手方 の主張を「認めた」のと同じことになってしまうことがあります(擬制自白)。訴状を受け取ったが身に覚えがないということで放置していると後で大 変なことになってしまいます。
訴訟の世界では、現実に起きたことでも、黙っていたら無かったに等しくなってしまいます。日本人は特に沈黙は金、見ざる言わざる聞かざるを心情 にしている方が多いようですが、残念ながら、訴訟では「沈黙は金」にならないようです。だから、何をされても黙っていると、謙譲の美徳として日常 生活では尊敬されますが、裁判ではそういうわけには行かないと言うことになります。
「黙って我慢していたのに、裁判官にはわかってもらえなかった」というのはよく依頼者の方が口にする言葉です。