「六法に、『恋』という字は無かりけり」という言葉がありますが、「法律」というと「つめたい」「おかたい」ものの代表で、人情をうけつけない世界というイメージを持たれている方が多いと思います。
でも、実は、法律にも「心」や「精神」はあるのです。
たとえば民法には、「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」という規定があります。法律上の権利があるからといって人をだましたり、嫌がらせをするような使い方をしてはいけない、という意味です。
法律には「恋」の字はありませんが、「信義」や「誠」はあるのです。
また、「契約」は本来必ず守らなければならないものですが、どんなひどい契約でもハンコを押してしまったら終わりかというと、そうでもありません。有名なシェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』では、主人公の友人が、借金を返せないときは自分の胸の肉を1ポンド切り取って渡す(こんなに切り取ると死ぬという量ですね)という契約書を交わし、悪徳金貸しシャイロックから肉を切り取れと迫られ追いつめられる話です。しかし、幸いなことに現代日本では、こんな非人道的な返済方法は許されません。それは、民法に、こんな規定があるからです。
「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。」
非人道的な契約や、殺人依頼といった犯罪を目的とする契約、暴利行為のような正義公平に反する契約はいっさい許しません、という意味です。
そして、民法などのこうした規定の裏側には、一人一人は同じように大切にされるべきかけがえのない存在であり、法は一人一人の真摯な生き方を守っていこう、という考え方があります。この理念は、国の根本法である「日本国憲法」に「基本的人権」として定められ、あらゆる法令も、そういう理念にのっとって作られなければならない、ということになります。
ですから、逆に、どんな法律でも法律なら守らなければならないかというと、上に述べた精神に反するものは、いわば「ひどい法律」として許されない場合があります。たまに「違憲判決が出た」などという言葉を聞くと思いますが、憲法に違反する法令は無効(認められない)となるのです。
では、一人一人はもっとも価値ある存在、という考え方はどこから来たかといいますと、
「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」(憲法97条)
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」(同11条)
法の心は、われわれ一人ひとりが、努力して守らなければ失われていく危険があるということですね。弁護士業務では、憲法を読むことなんて、実はほとんどありませんが、こうして読み返してみると、法律家のはしくれとして胸を打たれます。