執筆:大谷和広法律事務所
大谷 和広 弁護士
「萎縮効果(いしゅくこうか)」という言葉を聞いたことはありますか? 私は、司法試験の勉強をしていたころ、憲法の授業で習いました。教科書には「民主主義の基本に関わる重要な概念」とありました。
それほど重要な言葉なのに、弁護士になって10余年、改めて学ぶ機会はありませんでした。それではもったいない。今回このコラムでみなさんと復習しましょう。昨今のニュースを理解するうえで役に立つはずです。
「萎縮効果」は、市民の“表現の自由”を守ったアメリカ合衆国の最高裁判例で広く知られるようになった考え方です。国家の処罰を恐れ、国民が表現行為を自主規制することをいいます。
刑罰の内容が漠然として分かりにくいと、はたしてどんな表現活動をすれば処罰されるか、国民が予測できません。そのため、「曖昧・不明確な刑罰の法規は萎縮効果を強める」と言われます。
萎縮とは“縮こまる”という意味です。自主規制の本質を、巧みに言い表しています。たとえばみなさんが、「もしかしたら警察に逮捕されてしまうかもしれない」と感じたら、たとえわずかな不安でも、その表現は止めておこう、となりますね。萎縮効果とは、国家に強制されたというより、国民一人一人の気持ちや考えが縮こまり、意見を無意識に差し控える、というニュアンスです。
表現の自由とは、情報や意見や感情を他人に自由に伝えられることです。国民が政治に関して充分に議論したうえで選挙行動をしないと、民主主義はうまく機能しません。そのため、政策の当否や政治家の見識についての表現の自由は、“民主主義の基本をなす人権”といわれます。
いっぽう「政治とは無関係な、価値のない表現、迷惑を及ぼす表現は、国家が積極的に取り締まるべき」という見解もあります。しかし、自由に表現することのできない空気が萎縮効果への一歩となりうるのを、私たちは歴史から学んでいます。表現の自由は、わずかな風圧にも大きくゆらぐぜい弱さをあわせ持つ人権です。そして、表現の自由がゆらげば、民主主義は危機をむかえます。
現代の私たちは、スマートホンという便利なツールを手にしました。かつて街頭演説やビラ配布で苦労して意見を発信した時代から、いまや1人が発信したツイートをわずか1分で世界の1億人が目にする便利な時代となりました。
しかし、表現の自由は、民主主義の実現にとって、昔も今も変わらぬ普遍的な価値を持ちます。そして、スマホに頼るだけでは、表現の自由の普遍的価値を守ることはできません。テクノロジーの発達した現代でも、萎縮から、つい自主規制をする私たちの心の弱さは、昔と変わらないように思えます。
以上