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2018/11/16

憲法改正問題を考える連続講座
「東アジアの平和と日本の役割-取り残された冷戦構造と憲法9条の役割-」開催報告

広報委員会

(札幌弁護士会憲法委員会副委員長 中村憲昭)

 2018年6月9日(土)午後1時30分より、札幌エルプラザ3階大ホ-ルにおいて、札幌弁護士会主催(共催:日本弁護士連合会及、北海道弁護士会連合会)のシンポジウムを開催しました(参加者約180名)。

  1. 本企画の趣旨 本企画は、今年が第2次世界大戦(アジア太平洋戦争)終結から73年目を迎えたことから、企画されました。
     奇しくも明治維新から73年後に、我が国は太平洋戦争に突入しました。そして戦後73年が経過した今年に入り、9条改憲の動きが活発化しています。
    今回の企画は、日本近現代史の出発点ともいえる明治維新から現代までを振り返り、戦前の73年間と戦後の73年間を対比させることにより、東アジアの安全保障と、戦後憲法第9条の果たしてきた役割について振り返るものでした。
  2. 第1部 基調講演その1 山田朗教授 第1部は講師2名の基調講演でした。
     1人目の講師は、明治大学教授であり、日本近現代史、軍事史を専門に研究されている明治大学の山田朗教授です。

     山田教授からは、そもそも日本国憲法の起草者が誰であったか、特に憲法第9条の発案者が誰であったのかという点について歴史的な経緯から説明がありました。具体的には、マッカーサー、すなわちGHQの発案なのか、それとも当時の内閣総理大臣であった幣原喜重郎の発案なのか、という点です。
     山田教授によれば、歴史的には幣原首相個人の提案をマッカーサーが取り入れたという説が有力であるが、実際には幣原首相には天皇制を護持しようという意図があったのみで、戦力放棄という憲法9条の発想までは抱いていなかったであろうとのことでした。マッカーサーが当時「幣原の発案にしておいた方が(統治政策上)好都合である」と述べていたとの指摘もありました。
     山田教授はさらに、憲法9条を憲法に盛り込むとしても、再軍備に向けての胎動は当初からあった、と指摘します。それがいわゆる「芦田修正」と呼ばれるもので、9条第1項の原案には元々なかった「国際平和の希求」の文言を入れつつも、第2項に「前項の目的を達するため」戦力を保持しない、と定めた部分です。これが後に、警察予備隊や自衛隊を合憲とする政府見解の根拠となったとのことでした。
     山田教授は、その後の戦後における自衛隊を巡る政府見解とその変遷を紹介しつつ、さらに世界の中で自衛隊がどのような位置づけなのかを、数値をもって示されました。
     いわく、中国やロシアの台頭が喧伝されているものの、世界の軍事ランキングによれば、日本は世界でも有数の軍事大国であるとのことであり、1990年代は世界第2位を占めており、2008年以降も世界6位の軍事力を維持しているとのことでした。また、自衛隊の「ヘリコプター搭載護衛艦」と称する船舶が実際には航空母艦と変わらないものであり、かつ戦前の空母と同様、旧国名をベースに艦名が付けられている事実を指摘されました。
     このように、戦後一貫して再軍備への意欲とそのはたらきかけが続く中で、山田教授は、憲法第9条が軍拡の歯止めになってきたと述べられました。
     さらに、自衛隊イラク派遣差し止め訴訟において名古屋高裁が出した違憲判決(2008年4月)について、真正面から平和的生存権を認めたことの意義を強調されました。
     山田教授いわく、自衛隊の実態を隠そうとする名称の付け方や、軍事機密を理由とした情報非開示に対しては、もっと国民の側から、自衛隊の活動実態を明らかにするよう求めてゆくべきだと指摘されました。
     昨今の中国脅威論についても、安易にそれに踊らされずに、軍拡競争の連鎖を断ち切るべきだと主張されました。山田教授によれば、明治維新から太平洋戦争終結までの時期は、中国の国力が弱体化していた極めて例外的な時期であり、それ以外は常に中国が東アジアの覇権国家であったと指摘しました。そして、我が国においても安易な「脱亜入欧」的なアジア蔑視論を見直し、対米追従的な「中国包囲戦略」から脱却すべきだ、と述べられました。

  3. 基調講演その2 清末愛砂准教授 基調講演の2人目は、憲法学者・家族法学者である室蘭工業大学の清末愛砂准教授でした。
     清末准教授は、ご自身がフィールドワークとされている非暴力主義の実践体験を紹介しつつ、憲法第9条の解釈をめぐる学説の対立点を解説されました。

     清末准教授は、憲法第9条が盛り込まれたことには多面的な意味と解釈があると指摘します。そのうちの一つが、「加害者として東アジア諸国に被害を与えたことに関する反省だ」と述べられました。具体的には、大日本帝国が植民地において非人道的なふるまいを行って来たこと、それを愛国心という言葉の下に正当化してきたことを反省し、日本国民が「人間らしさ」「人間性」の回復を求めるために制定されたという側面もあるのではないかと指摘されました。
     そのうえで、清末准教授は、安倍政権をはじめとする改憲派が唱える「積極的平和主義」に対して、「非暴力平和主義は決して絵空事ではないと主張されました。

  4. 第2部 パネルディスカッション 基調講演も、新たな視点を設定して戦後の改憲を巡る動きを解説してくれたという点で、非常に興味深いものでしたが、さらに興味深かったのは、基調講演に続いて行われたパネルディスカッションでした。
     パネルディスカッションにおいては、今橋憲法委員会事務局長の司会の下、基調講演者のご両名に加え、札幌自由学校「遊」共同代表であるイム・ピョンテク氏が加わり、活発な議論が交わされました。

     イム氏からは、大日本帝国時代に抑圧された側の立場からみた憲法第9条、という視点で語っていただきましたが、氏の良く通る声と鋭い語り口もあり、一気に議論のボルテージが上がった感がありました。
     イム氏の指摘によれば、戦前において朝鮮韓国人は、国家の独立性を奪われ、日本に従属させられた「同胞」でありながら、終戦後は突如日本国籍を奪われ、捨てられた立場に置かれていたと述べられました。
     さらにイム氏は、憲法第9条の意義についても、清末准教授の指摘とは異なり、日本国憲法制定当初は日本国民に加害者としての反省はあまりなく、もっぱら「もう戦争にはこりごりだ」という被害者意識しかなかったのではないか、日本人にアジア諸国に対する加害者意識が芽生えたのはベトナム戦争のころになってからではないか、と指摘されました。この指摘を受け、これまで私たちは加害者であることをそれほど深く自覚していなかったのではないか、と考えさせられました。

  5. 総括 学者2人の冷静な語り口に対して、イム氏からの突きつけられた刃のような鋭い語り口に驚かれた聴衆の方もいらっしゃったようですが、緊張感溢れる議論が展開されました。
     本企画は、これまでとは異なる視点設定もさることながら、講演者もいつもながらの憲法学者だけではなく、軍事に詳しい歴史学者も交えたということで、目新しい視点で議論を深めるきっかけとなったのではないでしょうか。
     今回の企画は、憲法連続講座の1つとして位置づけられたものでした。次回の企画については未定ですが、強引ともいえる国会運営も見られる中で改憲が進められていくことについて、弁護士会として警鐘を鳴らすとともに、市民の皆さんに情報提供をし、考える視点を提供し、そして共に考える機会を作っていくことが弁護士会の大事な使命なのだと考えています。

以上