最近は,裁判員裁判が始まったことや,法曹界をテーマにしたドラマや書籍が作られるようになったこともあって,以前よりも法律や裁判に対する社会の関心が高まっているように思いますが,法律は私たちのような専門家以外の方にとってわかりやすいものなのでしょうか。
私は,司法試験に挑戦するために脱サラして初めて法律の勉強を始め,それまでは六法全書を見たこともなかったのですが,少なくとも勉強を始めた頃の私にとって,法律とは全くの未知のものでした。
法律は日本語で書いてある,だから外国語よりも勉強しやすい,と書いてあった法律の入門書もありました。しかし,いざ勉強を始めてみますと,「瑕疵」,「遡及」,「欠缺(けんけつ)」,「公共の福祉」,「一事不再理」,「結果無価値」,「危険負担」など一見しただけでは意味の分からない言葉や,「被疑者と被害者」,「警察官と検察官」,「所有と占有」,「債権者と債務者」など似て非なる言葉が続出してきて,出だしから心が折れそうになりました。
また,ある程度勉強が進んで,裁判例を読むようになっても,「明らかでないとまではいえない」,「然るに」,「蓋し」など,日常的に使われないような未知の用語がたくさん使われていて,慣れるまでは裁判例一つを読むのにも大変な労力を割かねばなりませんでした。
本格的に法律の勉強をしようとする方であれば,分からない法律用語が出てきても,文献を調べたり人に聞いたりすれば良いと思います。しかし,そうでない方は,分からない法律用語が出てきても,日々の生活に追われていてその都度調べる時間もなく,わからないままになる…というのが現実だと思います。
その点で,裁判員に選ばれた方に,いきなり裁判の手続きを理解して,高度な法的判断を求めるのはいささか酷なのではないかと思います。
そもそも,日本では,法に触れることなく警察や裁判所のお世話になることもないまま平穏な人生を送られる人の方が多いと思いますので,国民全体が日頃から常に法律のことを意識し,法的素養を高めるべく研鑽を積む…といった必要があるのかどうかもなんとも言えないところだと思います。
近時,これまでになかったような凶悪犯罪が起こっているのを見ますと,法的素養よりも,まずは一般常識や倫理観・道徳観などを高める方を優先した方が良いのではないかとも思えます。
いずれにせよ,まずは私たちのような法律の専門家が,高い倫理観と強い責任感を持って法的なトラブルに巻き込まれてしまった方の力になるべく,日頃から研鑽を積むことが不可欠であって,それを前提に一般の方々の法的意識が少しずつでも高まっていけば,より良い世の中になっていくのではないかとも思いますが,難しいところですね。