もうすぐ3月ですし、近時、新電力についての報道もされたので、平成23年3月11日の東日本大震災以後、私が経験したことを書いてみたいと思います。
長いですが、よろしければお読み下さい。
東日本大震災があった平成23年3月11日、私は、東京都港区西新橋の仕事場にいました。午後2時50分頃に始まった揺れはすぐに大きくなり、仕事場の書類を納める家具は金具で固定していたのですが、ぶらんぶらんと動き出してしまいました。この大きな揺れは、私の感覚としては10分間は続きました。
私は、揺れが収まった後、とても大きい地震だから、電車や建物のエレベーターも止まってしまうだろうと思い、情報を得るため、携帯電話のワンセグでテレビを見始めました。
テレビを見ていると、次第に、東北での酷い津波の状況(津波が自動車に迫る状況が放送されていたのですが、津波が自動車を飲み込む直前に放送が切り替わったことが印象的でした。)や東京のお台場で火災が発生していることなどが報道されました。
その日、私は、妻から、子供達を連れて妻の学生時代の友達たちとお台場で会ってくると聞いており、私は、心配で、妻に電話をしました。
電話は、すぐにつながり、地震の当時、妻達はお店で食事をしていたところ、すごい揺れで、お皿も全部テーブルから落ちてしまい、打ちっ放しの天井からも何かがぱらぱら落ちてきて、結局お店から避難階段を使って避難せざるを得なくなったこと、ゆりかもめの高架橋がぶらんぶらんと揺れていたこと、広い避難場所に避難していたところ津波が来るかもしれないから高いところに逃げるようにというアナウンスがあり右往左往したこと、火事の煙が見えること、最寄りの電車が全て止まり駅もシャッターが閉められていたこと、お台場から出るにはどうすればいいだろうという話をしました。
その後も、妻とは何度か電話で話しているのですが、妻は、友人達の強力な情報収集力と子供達への気配りのおかげで、何とかバスでお台場を脱出して門前仲町にたどり着いたということです。その後、午後11時過ぎに動き出した東京メトロ東西線に乗り、千葉県市川市(市川市のなかでも市役所のある地域ではなく、東京ディズニーランドで有名な浦安市に隣接する地域)にある自宅に翌12日の午前1時頃には帰ることができたということです。
なお、私が見ていたテレビでは首都圏では電話がつながらないという報道もされており、妻とほとんど障害なく電話がつながったのは幸運だったようです。
私の方は、その後、携帯のワンセグテレビで、福島第一原発で重大な事態が発生していることを知り、また、銀座線、東西線が動き出したことも知ったのですが、一方で、銀座線に乗客が殺到して一時止まったという話もあったので、その日帰ることは諦め、仕事場に置いてあった寝袋で寝て、翌12日の朝、自宅に帰りました。
その後も、福島第一原発は重大な事態が納まらず、同月13日までには、東京電力からは計画停電の発表され、さらには、その後、同月15日ころから東京でも放射線量が上昇していること、さらには、同月21日ころには、東京の水道水から放射性物質が検出されたことが報道されました。
そこで、同月15日ころの報道を見てからは、自宅にできるだけ外気が入らないように、換気扇を一切回さず、子供達もできるだけ外出させず、保育所に預けるために外出せざるを得ないときも、できるだけ肌を露出させない格好でマスクをさせて外出させるようになりました。
さらに、同月13日までに報道された計画停電に備え、懐中電灯や電池を購入しようとしてもスーパーや百円ショップでも品切れの状態で、さらに、同月21日に東京の水道水から放射物質が検出された後には、すぐ、スーパーにミネラルウオーターを買いに行ったのですが、品切れで、お茶のペットボトルを数本買うのがやっとでした。
家には、震災前から炭酸水はあったのですが、子供達が炭酸水を飲んでくれるだろうかとか、炭酸水を飲んでくれなかったり、飲んでくれても炭酸水がなくなったら、子供に水道水を飲ませざるを得なくなるなどと心配したり、牛乳などを買う際に産地がどこか気になったりなどいろいろ心配にしたことを覚えています。
私は、平成23年5月に、一度、札幌の実家に帰ったのですが、札幌は、大震災の前とほとんど変わった様子は見受けられず、百円ショップにも電池が豊富におかれ、また、スーパーにもミネラルウオーターが豊富に並べられ、計画停電に不安を感じたり、放射性物質に対する不安も感じなくてすむことが、とても、うらやましく感じました。
その後、放射性物質に対する不安は次第に薄れてはいったものの、やはり、不安がなくなることはなく、公園の砂場は比較的放射線量が高いという話を聞いたことがあったので、子供を公園で遊ばせる際に砂場では遊ばせないようにしました。
また、平成24年8月に私たちが北海道にフェリーで引っ越す際も、大洗からのフェリーに乗った場合の放射線量についてやはり気になり、運行会社のHPや実際に放射線検知器持参でフェリーに乗った人のブログなどで問題がないかを確認してしまいました。
そして、平成26年の4月に、岩内へ初めて家族で旅行に行きました。
海と山が近く、食べ物も美味しいとても素敵な場所でした。
そして、札幌への帰り道、積丹半島を車でぐるりと周り、泊原発の裏側やきれいな景色を見て、札幌に帰ってきました。
また岩内や積丹半島に何度も行きたいし、なにより、これからも札幌に住み続けたいなあと思っています。