あなたの知りたいコンテンツのジャンルは?

アーカイブ検索
2013/09/12

「法教育シンポジウムin札幌」開催の報告(その3)

法教育委員会

「法教育シンポジウムin札幌」開催の報告(その1)へ
「法教育シンポジウムin札幌」開催の報告(その2)へ

平成25年8月25日、北海道経済センターにおいて、標記シンポジウムが開催されました。
「法教育シンポジウム」とは、法テラスが、法教育の更なる普及を図るため一昨年度から開催しているものであり、今年度は、札幌市において初めて開催されました。当会も主催団体の1つであり、法教育委員会でもプロジェクトチームを立ち上げて臨みましたので、報告いたします(3回にわけてご紹介します)。

パネルディスカッション「法教育が真に教育現場に浸透するために」

<コーディネーター>綱森史泰氏(札幌弁護士会法教育委員会副委員長、弁護士)

<パネリスト>乙武洋匡氏(作家、東京都教育委員)
土井真一氏(京都大学大学院法学研究科教授)
山口太一氏(立命館慶祥中学校教諭)
中村大輔氏(札幌光星高等学校教諭)
岸田洋輔氏(札幌弁護士会法教育委員会委員、弁護士)
佐久間佳枝氏(法務省大臣官房付兼法務省大臣官房司法法制部付)


パネリストと法教育の関わりについて
乙武氏からは、自分は、法教育については門外漢であり、平成19年から3年間小学校教員の経験があるが、小学校の教育現場では「法教育」という言葉にはあまりなじみがなく、最初に「法教育」と聞いた時には、また新たなことを盛り込まれて教員の負担が増えるのかな、という印象があったとのお話がありました。

山口先生の学校は中高一貫校で、法教育については、主に高校の倫理で取扱われているというお話があり、また、門外漢だという乙武氏に対し、乙武氏の著書「だいじょうぶ3組」の中にも法教育的な取り組みが書かれていたと思う、と指摘されました。

中村先生は、知ることの面白さを伝えたいと思い教員になったが、知ることだけでなく、法教育をするにあたり、考えること、伝えること、の面白さもあることがわかるようになったとのことでした。

佐久間氏からは、法務省内に法教育推進協議会があり、平成17年5月から33回開催され、関係機関のバックアップの仕方などを検討し、影で法教育を支えている旨のお話がありました。現在、教材作成や、教員の研修、出前授業の実施なども行っているとのことでした。
岸田委員からは、札幌弁護士会での法教育の取り組みについて。法教育委員会だけでなく、消費者委員会、憲法委員会、雇用と労働に関する委員会などと協力し合って法教育に臨んでいることの紹介や、教員と常に協働して授業を作っているという説明がなされました。また、高校での授業が中心であるが、小中学校からのオファーにも対応していることも紹介されました。

学校現場での工夫、悩み中村先生からは、出前授業で、自身が関心を持っている「一票の格差」問題について扱いたかったが、まだ投票経験のない高校生に教えることなどの難しさに直面し、断念した、他方で、個人の実践から学校の実践へつなげていく一つのきっかけとして弁護士の出前授業はよかったと思うというお話がありました。

憲法学者である土井教授からは、「一票の格差」について、格差があるということは、我々の代表者が公正に選ばれていないということであり、地方の声を国政に届けたい、という時に、地方の声をもっとしっかり聴いて下さい、と訴えるだけなのか、もっと多くの代表者を選ばせてください、と訴えるのか。法教育の観点からは、「何が公正か」という話をしていくことになるだろうというご指摘がありました。

また、乙武氏は、マイノリティ、違いのある人が肩身の狭い思いをすることなく平等に暮らしていくためには工夫が必要であり、小学校教員時代の自身をモデルとした新任教師赤尾慎之介を主人公にした著書「だいじょうぶ3組」では、赤尾慎之介と生徒たちの間で新たなルールを作成するところを描いたというお話がありました。

山口先生は、基調講演の「幹となる部分」の教育と関連付け、「だいじょうぶ3組」の赤尾先生が生徒たちとサッカーをする際、赤尾先生がゴールすると2点入るというルールを作ったシーンなどを取り上げ、法教育は、社会科教員が教材を使って行うだけで完結するものではない、教員だけでなく、社会の人は皆一人ひとりが教育者であるので、皆が、「これも法教育かな。」などとアンテナを張って欲しい、社会一般での法教育を浸透させるべきと指摘されました。
また、山口先生のクラスでは、クラス委員を決める際に「決め方の決め方」を話し合うところから始めていること、話し合って解任の手続まで設けたことなどが紹介されました。

自己肯定感と法教育の繋げ方乙武氏からは、教員経験者として、東京都教育委員として、また、2児の父として、子どもの「自己肯定感」を育むことを大事にしていきたいというお話がありました。乙武氏は、「障害があるのに明るいですね。」「強いですね。」などと言われることが多いそうですが、両親が愛情を注いで育ててくれたので、障害はあるけれども自分は大切に思われているんだという自己肯定感を育めたのだと思っており、自己肯定感があることが明るさ、強さに映っているのではないかとおっしゃいました。

佐久間氏から、検事として、罪を犯した少年に接する機会があり、「自分なんかどうなったっていいんだ。」「親には見放された。」と言う子が多く、大人が「自分を大切にしなさい。」と注意することに対しても反発する子が多いと感じたというお話がありました。そのような少年に対し、誰でも誰かの役に立っている、誰かの役に立てるように自分を大切にしなさい、自分を大切にすることが誰かを助けたということになる、と話をしながら自己肯定感を育み社会の一員であるということを感じてもらうようにした、という経験があるそうです。

また、他人と意見を交わすこと、自分が他人と違うということを怖がる人が多く、自身が法科大学院の教員をやっていた際にも、他人を論破したがる学生や答えだけ聞きたがる学生が多かったそうです。論破しては、相手に不満が残り、真の解決にならないし、答えだけ聞くのではプロセスがない。うるさい人を避けて対話せずに決定してしまうというのもプロセスとして問題がある。「法」という言葉を怖がらないでほしい、法は常識の寄せ集めなので、「法」という言葉を怖がらないで欲しいというお話もありました。

岸田委員は、乙武氏の「自分を愛する力」を読んだ瞬間、これぞ法教育だと思った、との感想をお話されました。みんな違って、みんないい、という考え方や、その表れである、文集のタイトル「色鉛筆」。まさに個人の尊重についての教育がなされていると感じたそうです。
法律家としては、個人のぶつかり合いが生じた時の解決の方法、多数決が公正な方法か?と考えさせていく必要があるであろうし、多数決から漏れた人を助けるのが弁護士の仕事であると考えているというお話がありました。

まとめ中村先生から、法曹関係者と連携をする中で、充実した実践をしたいというお話がありました。
土井教授は、自己肯定感、自尊心はとても大事で、これを育むのは家庭教育であると指摘されました。自分の子や孫に、自分は生きていていい、他の人と共に生きていくのだ、と自覚させることが大事で、自分は生きていても意味がないなどと思っている子に、人を殺してはいけないというルールを教えても意味がないとのご指摘でした。

そして、人が共に生きていくには道理があり、道理の中に強制力を使ってでも守らせなければならないものを法と言っているにすぎず、道理を教えるのは家庭、地域の役割であるというお話がありました。

山口先生から、ルールときくと、自分達は縛られていると思いがちだし、罰則と聞くとこわいと感じるが、ルールは自分を守っているという意識を持てば、自己肯定感につながるのではないか、という指摘がありました。

乙武氏は、法教育が小学校に馴染むのか当初は疑問があったものの、ルール、道理と置き換えれば、小学校でも教えられる、と感じたそうです。一票の格差問題を部活のルール決めという身近な問題にひきつけるという中村先生の授業のように、ルールはなぜ大事なのか、ということを身近な問題にして考える必要があり、そのために何を教材とするのか、何を入口とするのか、という観点が法教育浸透の鍵になるのではないかと示唆されました。

感想私は、本年2月に法教育委員会に配属されました。かねてから、漠然と、学校に通う年頃から、周りの人に配慮し、ルールを守り、また、ルールがおかしければ周りの人と話し合って改善し・・・ということができるようになれば、大人になった時にきっと役に立つだろう、という思いはあり、法曹として手助けができれば、と考えておりました。しかし、今回シンポジウムに参加するまで、法的なものの見方、考え方を身につける前提に、自分はかけがえのない存在であるという自己肯定感を持ってもらうことが大事であるという意識が、抜け落ちていたように思います。学校の先生方と異なり、生徒たちとの関わりが一時的なものにならざるをえない私たち弁護士が、生徒たちに自己肯定感を持ってもらうという役割を直接担うことは難しいかもしれませんが、先生方と協働して授業を作り上げる際にも、また、一社会人として子供たちと接する際にも、この意識を活かせるであろうと感じました。